Thursday, November 18, 2010

New Asian Movement is NOT hate movement but Indifference movement.

自分の英語のブログのコピペ
http://newasianmovement.blogspot.com/2010/11/new-asian-movement-is-not-hate-movement.html

New Asian Movement is NOT "hate" movement but "Indifference" movement.
The opposite of Love is what?

It is not hatred, but it is indifference, and New Asian Movement is about love of our own race and indifference to other races. Do not hate other races. It's the wrong direction.


Indifference-------------------Love-------Hatred
the degree of interest---------->------------->


Indifference is the void of love to the target. Hatred is too much love(or more specifically, interest) to the target.


If you choose not to love someone or some groups, Do NOT hate them. Just be indifferent to them. Show no interest to them and think no interest to them. That's the furthest point you can apart yourself from love. Hatred, on the other side, is too much interest to the object, and love and hatred is much closer to each other than love and indifference. Too much love turns hatred. Hatred can turn back to love. If you choose not to love someone, indifference is the correct answer.

Monday, November 1, 2010

Asian Globish

English by Asians for Asians - Asian Globish

New Asian Movement's one core project.
I write in Globish.
古屋 哲夫 アジア主義とその周辺。 現代のアジア主義ではなく歴史的なアジア主義について論じている。
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/72_asiasyuhen/hajimeni_.html

Wednesday, October 27, 2010

Not about Asian but about Human

my new post in Global Racial Segregation Plan (GRSP)
http://greaterracialsegregation.wordpress.com/

Thursday, October 21, 2010

英語を学ぶのはアメリカ人やイギリス人と話すためではない。

ほぼすべての英語学習者が勘違いしていることに、”英語を学ぶのはイギリス人やアメリカ人と話すため”だと信じているということだ。はっきり言って、イギリス人やアメリカ人は自分と同じようなバックグラウンドを持ち自分と同レベルの英語レベルを持つ人間としか日常的に話すことはない。日本人だって同じことだろう。外国人と話すのは一時的な好奇心だけで、すぐに話題がなくなったりして、興味が無くなる。また、外国人の男が日本人の女に親しげに近づいてくる場合、9割は専ら性的なインセンティブによる。セックス以外には、あなたの精神性や性格には興味はないのだ。セックスがなければ興味などないことは、男同士や女同士(ゲイやレズビアンは除く)で日本人と外国人が一緒に歩いていることが極端に少ないこと見れば明らかだ。いずれそれを自分で見抜けない女は、知的に劣っていて、生存競争で淘汰される運命にある。


英語の話に戻すと、おいらはバイリンガルだ。英語のボキャブラリーは、アカデミックな分野(自分の興味範囲)に限れば、ネイティブなどよりも豊富だ。スラングや慣用表現などは彼らの文化と密接に関わっているため、彼らの方がおいらよりずっと多く知っているだろう。だいたいにして、おいらは彼らのスラングや慣用表現などを一一覚えるのは、劣等コンプレックスの裏返しだと考えているから、そんなもんは覚える必要はないと思っている。英語は基本的な単語だけで十分だ。


おいらも最初は英語を学ぶのはイギリス人やアメリカ人と話すためだと思っていた。そして、外国で経験を積んだり、精神的に成熟したりするにつれて考えが変わった。英語を学ぶのは、海外(どこでも良い)で他国人(何国でも良い)とコミュニケーションを取るためである。おいらはタイに住んでいるが、こちらにもアメリカ人やイギリス人の「ファラン」はたくさんいる。英語は彼らと同等程度に話せるが、おいらは基本的には彼らと話さない。言葉は通じるのだが、考え方やバックグラウンドが親友になるには決定的に異なっていると感じるからだ。なので、おいらはタイ人や他のアジア人とは英語でよく話す。彼らの英語がネイティブのそれに劣っていても、考え方やバックグラウンドや人種が近いため、コミュニケーションを取るのが容易だからだ。それに、彼らとは遺伝子的に近いため、セックス抜きで正当な信頼関係を築くことができる。

Tuesday, October 19, 2010

嫉妬する方が悪いのか?嫉妬させるほうが悪いのか?

はっきり言う。おいらは白人や黒人の男とアジア人の女のカップルを見るのが嫌いだ。


どうしてあんなに姿形が違った人間がカップルになり得るのか理解出来ない。見た瞬間に奇妙さを感じ、ショックを受ける。ムラムラと嫉妬の炎が自然と心から出てくる。


アジア人の女だけを性的対象とするおいらにとって、他の人種がアジア人の女と付き合うことで、全体としての性的対象のパイが減ることになる。恋愛は最高級の喜びであるから、喜びを一緒に得られる可能性のあるアジア人女の数が減るということは、他の、堅実にアジア人女しか恋愛対象にしないアジア人の男全体にとって、社会的損失と言えることだ。


さらに言えば、人間は自分とより違った性質(体格や精神)をもつ競争相手を性的対象になる異性が選ぶのを見ると、より大きな嫉妬心を煽られる。これは実は進化論的に見て当然のことなのである。自分と体格や精神が大きく異なった人間は遺伝的にも比較的大きく異なっているのであり、それを自分の好きな異性が選ぶことは、自分の遺伝子の性的競争力が劣っていると思わせるからだ。


要するに遺伝子的に離れている性的競争者が自分の性的対象を選ぶことに対して嫉妬することは、自然淘汰の結果なのだ。自然淘汰の結果、自然と感じざるを得ない感情を持ったところで、その感情を責めることはできない。これは人間一般にとって至極当然のことなのだ。


そうなると、嫉妬する方が悪いのではなく、嫉妬させるほうが悪いという結論に至った。公共の場で堂々とルーザー外人と付き合う外専肉便器アジア女は、責められて当然なのだ。そして、アジア人女と付き合うルーザー外人に対して敵意を持つことは当然なのだ。嫉妬心を抑えて平静なふりをすることが大人らしい態度だという暗黙の一般常識は、全く馬鹿げている。自分に嫉妬心があることを認めて、それを正当であると認め、嫉妬させる行為を公共の場で見せびらかす下劣なインターレイシャル・バカップルに対しては、胸を張って軽蔑してよい。

Saturday, October 16, 2010

"善い人種主義者"になれ。

偽善的で下劣な”人種平等主義者”になってはならない。彼らは人種平等主義者という偽りの仮面をかぶって、”劣った(と本当は思っている)”人たちを安心させ、利用し、搾取する。人種ではっきり分けているくせに、そうでないふりをする。このような非道な人間にはなってはならない。

New Asian Movementの人種主義は、人々が道徳的で賢い、「善い人種主義者」になることを奨励する。